n年後に駐在するゲイ

いつか海外に飛ばされるゲイが生きた証

26

昨日、26歳の誕生日を迎えた。寿命にまた一歩近づいた。

 

本当は友達がドライブに連れて行ってくれるはずだったけど、台風のせいで中止に。おかげで一日中家に引きこもる羽目になった。最近ハマっている『僕のヒーローアカデミア』を観て一日が終わった。記憶の限りでは最も怠惰で無為なバースデーである。ちなみに僕は梅雨ちゃんと常闇くんが好きだ。

 

heroaca.com

 

昨日の失態を巻き返すように、今日は掃除、洗濯と家事を回し、トレーニングで背中と腕を破壊した。まだ15時だというのにすでに疲労困憊である。そしてこの後は夕飯の支度が待っている。料理はほかの家事労働と比べて楽しいと思う。

 

この間「自由時間がありすぎると人は幸福ではなくなる」という記事を見かけた。確かに、何にも縛られない時間が有り余っていた大学生の頃より、仕事や家事などやるべきことが一日の半分以上を占める今のほうが、何かに思い煩うことが少なくなったような気がする。手持無沙汰な時間にはどうしても思考が自分に向きがちだ。「意識を己から逸らす時間が格段に増える」ことは社会人のメリットだと最近思う。何かにつけて自分のことで悩みがちな僕にとって、「わたし」という文脈から切り離された時間を生きることは心地がいい。

 

 

 

この記事は地元のスタバで書いている。目の前に座っている大学生くらいの女性も、隣に座っている高校生くらいの少年も、参考書らしき本とにらめっこしている。そんな彼らの近くで何にもならないブログを書いている自分が気恥ずかしい。絶対に合格してほしい、がんばれ。

 

自分が怠惰であるためか、目標に向かって努力をしている人が必要以上に輝いて見える。病気ではないかと思うほどに努力ができない僕である。通っていた高校に、平日は5時間、休日は10時間勉強するという子がいた。バケモノかよ。僕が同じことをしたら3日と持たず根を上げる自信がる。

 

努力は誰にでもできる、と言ってのける人が僕は嫌いだ。努力をすることは立派な才能だ。どう考えても誰にでもできることではない。何かに向かって日々積み重ねることのできる人が心底うらやましい。

 

 

 

26歳になったというと「アラサーだね」と紋切り型の返しをされる。ゆっくりと、でも確実に自分から「若さ」がなくなっているのだなと感じる。「若いときにしかできないことをやれ」と言われることが多いが、そこに含まれる多くのことに、僕は興味が持てない。だから、26歳の自分も「今しかできない」にとらわれずに生きていくのだと思う。