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いつか海外に飛ばされるゲイが生きた証

すべての感情・経験は味わい深いペルシャ絨毯の模様となり得るか? 読書感想文『人間のしがらみ』

※ネタバレあり

 

 

生きる意味とは何か?我々はいかにして生きるべきであるのか?
地球上の誰もが一度はぶつかるであろう厄介な問い。
人生生活の意義を解き明かそうと、古今東西のあらゆる学者がこの難題に立ち向かった。
「よく生きるとは何か?」を生涯問い続けた西洋哲学の祖・ソクラテスの死後、気の遠くなるような膨大な時間が流れているが、今なお明確な答えを突き付けた人はいない。
そういえば、菓子パンヒーローアニメのオープニングテーマでも、なんのために生まれたのか答えられないのは嫌だ!と歌われている。

 

僕たちを悩ませるそんな問いについて
「人生に意味などない!」
と高らかに叫ぶ小説がある。
イギリスの文豪、サマセット・モームの長編『人間のしがらみ』である。

人生ってうまくいかない

主人公のフィリップは、常に何かをつかみ取ろうともがき続けている。
幼いころに両親を亡くした彼は、牧師の叔父の家に預けられ、宗教系の寄宿学校に入学するが、その恐ろしいまでに退屈で重苦しい生活から抜け出そうとドイツに旅立つ。
かと思えばイギリスに舞い戻って企業でインターンシップをするも、自分には向いていないと悟り仕事をほっぽりだし、画家になりたいと言いパリの美術学校へ留学する。
悲しいかな、学校の教師から君には才能がないと言われ、失意のうちにイギリスに里帰り。
職を得ようと医者を志し、ロンドンに医学校へ入学する。
そこで彼は、自分の人生を狂わせる女性・ミルドレッドと出会ってしまう。
始めはミルドレッドを嫌悪していたフィリップだが、徐々に彼女にのめりこんでしまう。ミルドレッドは決してフィリップを愛さないと知っていながら。
憧れと失意が交互に折り重なり、物語は進んでいく。

 

フィリップのやることなすことは概してうまくいかない。
企業人には向いていないし、画家にはなれないし、意中の女性には振り向いてもらえない。医学生時代には全財産を株で吹っ飛ばして極貧状態に陥る。
物語の随所で、フィリップは「生きる意味とは何か?」と問う。
なぜ人生はかくも苦しいものなのか。その中で我々が生きる意味とは?

 

起きたことに意味なんてない。ただ起こるだけなんだ。

本小説の主題の一つであるこの「人生の意味」を考えるうえでキーとなるのは、フィリップがパリ留学中に出会った酔いどれ詩人のクロンショーからもらったペルシャ絨毯だ。
今から4000~5000年前に誕生したともいわれるペルシャ絨毯には、実に複雑で繊細な模様が施される。そして、どのような模様もそれぞれの味わい深さを持つ。「この模様でなければいけない」理由は存在しない。
人生で起こる出来事も同じであると、突如としてフィリップは悟る。
生まれ、育ち、結婚し、子供をこさえ、食べ物を求めて働き、死ぬ。そんな模様がある。作中ではこれを「もっとも明らかで完璧で美しい模様の一つ」(下巻・p.448)と呼んでいる。
他方で、幸福も成功も一切姿を見せない模様が存在する。道半ばで命が尽き、完成されない模様もある。
どの模様であってもいい。この模様でなければいけない理由などない。
人間はただ、自分の人生の模様を味わえばいい。
幸福も不幸も、人生という模様をより凝ったものにする要素に過ぎないと気づいたとき、フィリップの精神はどれほど自由になっただろう。

 

すべての感情・経験は味わい深いペルシャ絨毯の模様となり得るか?

壁に一枚のペルシャ絨毯が掛けられている。
模様を構成する糸の色は白とも黒とも灰色とも言えない、くすんで寂しささえ感じる。
その糸で作られた模様もまた、特段の味わいもなくつまらない。
近くに立っている学芸員が言う。
この絨毯の作品名は「虚無」だそうだ。

『人間のしがらみ』を読み終えた僕は、どのような感情・経験がペルシャ絨毯の模様をつまらなくするかをずっと考えていた。
それは、幸福でも不幸でもないこと、成功も失敗もないこと、そこから生じる空虚さではないかと思う。
例えば、ただただ時間をつぶすために行うコンテンツの消費。例えば、自分の能力の限界を超えようとせず、今現在できる範囲で物事を終わらせてしまうこと。


本書のタイトルはオランダの哲学者スピノザの著書『エチカ』からとられたもので、感情という「しがらみ」に束縛され、人間は理性的に行動できないことをほのめかしている。
感情に支配されたフィリップは様々な経験をし、そしてもがき苦しみながら人生の意味を問うものの、「人生で起きたことの一つ一つをただ味わえばよい」という境地に達する。
逆に言えば、自らを支配するような強い感情やそれに伴う経験がない限り、味わい深いペルシャ絨毯の模様は生成されえないのではないか。

 

死期が近づいて自分のペルシャ絨毯を見たときに、そこにある模様がどれも空虚でつまらないものだとしたら、これほど悲しいことはないように思う。
何もかもオンリーワンの特別な経験をしようとまではいかないけれど、絨毯の完成間際にせめて「これはこれでよかった」と思えるよう、進んで「しがらみ」の犠牲となりながら生きていこう。