n年後に駐在するゲイ

いつか海外に飛ばされるゲイが生きた証

『ファイアバード』を観た

以前から気になっていた『ファイアバード』を観たので、つらつら感想を書こうと思います。

※全然ネタバレしてます。

あらすじ

1970年代後期、ソ連占領下のエストニア。モスクワで役者になることを夢見る若き二等兵セルゲイ(トム・プライヤー)は、間もなく兵役を終える日を迎えようとしていた。そんなある日、パイロット将校のロマン(オレグ・ザゴロドニー)が、セルゲイと同じ基地に配属されてくる。セルゲイは、ロマンの毅然としていて謎めいた雰囲気に一瞬で心奪われる。ロマンも、セルゲイと目が合ったその瞬間から、体に閃光が走るのを感じていた。写真という共通の趣味を持つ二人の友情が、愛へと変わるのに多くの時間を必要としなかった。しかし当時のソビエトでは同性愛はタブーで、発覚すれば厳罰に処された。一方、同僚の女性将校ルイーザ(ダイアナ・ポザルスカヤ)もまた、ロマンに思いを寄せていた。そんな折、セルゲイとロマンの関係を怪しむクズネツォフ大佐は、二人の身辺調査を始めるのだった。

公式ウェブサイトから引用)

 

感想

エンドロールの先まで観ないと、映画のメッセージを受け取りそこねる可能性のある映画だと感じた。途中まで、ルイーザがひたすらかわいそうな映画なのでは?と思っていた。最愛の人と結婚して幸せな家庭を築いたのに、ふたを開けてみたら親友だと思っていた男友達が夫と恋仲だったし、その夫は戦場に送られて死ぬ。近しい人の裏切りと最愛の人との死別が一気にルイーザに降りかかる。まともな精神状態を保つのも難しいような気がする。映画の終盤でセルゲイはどの面下げてルイーザに会いに行ったのかと思ってしまっていた。


ルイーザの視点から見ると、セルゲイとロマンは、ルイーザの人生を破壊した身勝手な二人のように映る。経緯はどうあれ、ルイーザと結婚したのだからロマンはこれ以上セルゲイに恋心を持つべきではないし、もちろん二人でソチに行ったり、半同棲のようなことをすべきではない、セルゲイもロマンをきっぱり諦めるべきだし、ルイーザが読んでしまう可能性があるのにあんな置き手紙をするなんて。レビューを読むと、セルゲイとロマンにもやもやする人が割といた印象だった。


ただ、「身勝手」に思われる二人の振る舞いは、同性同士の関係を「不適切」であるとする制度があったからではないか。男同士が恋愛をすると強制収容所行きになるというきわめて理不尽な法律がなければ、二人は愛をは育み続けることができただろうし、ロマンがルイーザと結婚することもなく、ルイーザの人生が悲劇に見舞われることもなかったのでは? 愛し合う二人が結ばれず、一人の女性の人生が台無しになってしまった真の原因は? 「ルイーザと、彼女の人生を破壊した身勝手な二人」という個人の物語に矮小化しそうになる観客に水をぶっかけるのが、エンドロール後のシーンだと思う。


この映画はエンドロールのあと、ズべレフ少佐が薄暗闇の中で煙草に火をつける一瞬のシーンを挟んで終わる。この少佐は、ロマンが兵卒と「不適切な関係」にあると疑い探りを入れていた人物で、軍の少佐でありながら、ソ連時代の諜報機関KGB」の一員。同性同士の関係を抑圧する体制側の人間である。ただ煙草に火をつけるだけなのにめちゃめちゃ「悪」がにじみ出ているあのシーンを通して、「観客の皆様におかれましてはセルゲイとロマンの身勝手な行いにお怒りかと思いますが、怒りをぶつけるべき本当の相手をお忘れではないですか?」と監督が言っているような気がした。

 

(良くも悪くも)気になったポイント

・メタファーとしての戦闘機?
物語中盤くらい、二人が海で行為に及ぶシーンが2機の戦闘機が沖へ向かって飛ぶところで終わるのだけど、あれはエクスタシーのメタファー? だとしたらだいぶシュール。あのシーンは笑っていいのかよくないのか判断に迷ったのだけど、多分後者。思い出すとじわじわくる。
ソ連国歌
セルゲイとロマン、ルイーザの3人が、モスクワのロマンの家で新年を祝うシーン、テレビで新年恒例の番組を流していたのだけど、そのBGMがちゃんとソ連国歌だった。スクリーンでソ連国歌が流れる機会なんてそうないだろうなと思うと、あのシーンが変に心に残ってしまった。
・壁の亀裂
セルゲイの出演する舞台を観たロマンが、終演後にセルゲイと話すシーン、二人がもたれかかった壁に大きな亀裂があって、その亀裂を挟んで二人が話すという構図で、なんだかくどいなあと思ってしまった。
・言語
物語は基本的に英語で進んでいくのにところどころロシア語が混ざるのが気になった。セルゲイとロマンから遠くで会話する国境警備隊の会話とか、もみの木の列に割り込んできた人を罵倒するロシア人のおばあちゃんとか。あと、乾杯のときだけロシア語になるのはなんで? 英語に統一してもよかったのではないかな。
・エンドクレジット
「この真実の物語をシェアしましょう」のあれ、ちょっと白けてしまった・・・。