n年後に駐在するゲイ

いつか海外に飛ばされるゲイが生きた証

扁桃炎バトルロワイヤル

それは突然やってくる。
弱いけど確かなのどの痛み。火照り、だるくなるからだ。
鏡に向かって口を開けると、喉奥の両側に白いブツブツ。
ああ、またかと愕然とする。
頭の中で非常事態警報が鳴り響く。
1時間もすれば体温は38度を超え、唾を飲み込むのもしんどくなり、たちまち戦闘不能になる。
嫌々行く病院で言われることはいつも同じ。

扁桃炎です」

ですよね。

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新型コロナが流行してからというもの、診察のプロセスがひと手間増えた。
「百発百中扁桃炎だろうけど、念のためコロナの検査しますね~」
そうして、僕の鼻の奥に白い綿棒が容赦なく突っ込まれる。
一度でも検査をしたことある人ならわかると思うけど、あれは本当に痛い。
カハァ!と普通に生きていたら絶対に出さないような声が出る。
両目から涙は止まらないし、鼻の奥で血の匂いがする。
もう少し人道的なやり方はないのかと、検査を受けるたびに思う。
百発百中で扁桃炎なら検査する必要ないのでは?と思うけれど、どうもそうはいかないようで。
一般の病気を治療する手間が増えるのはごめんなので、新型コロナには早々にご退場いただきたい。

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扁桃炎にかかるととにかく熱が上がる。
38度は当たり前。39度まで上がることもよくあるし、40度に達することもしばしば。
僕は体温が38度を超えると人の形を保てなくなる。
脳内に白く厚いもやがかかり、考え事なんてとてもできない。
高熱の状態では、記憶がとてもあいまいになる。
そういえば、体温が38度を超えると脳細胞が破壊されてしまうと、どこかで聞いたような。

ただ時々、熱を出す直前まで考えていたことや最近読んだ本から得たイメージ、美術館で僕に強い印象を与えた絵、昔人から言われて傷ついたことなど、本当に様々な概念が頭の中で一緒くたになって、悪夢のような光景に突き落とされることがある。
「うなされる」とはおそらくああいうことを言うのだと思う。

そんなわけで、この非常事態下では解熱剤が僕の生命線になる。
飲んで1時間ほど経つと、熱がだんだん下がる。
そういうとき僕は決まって「ああ、人間に戻ることができた」と感じる。
高熱でうなされているときの僕も人間のはずなのだけど。
37度台にまで熱が下がったら、それまでできなかったことを全部やる。
おなかを満たすとか、熱いお湯で体中の汚れを落とすとか、大切な人に連絡を取るとか、どうしてもやらなければいけない仕事を片付けるとか、人間でないとできない諸々のこと。
つかの間、人間の体を楽しむ。
数時間後には徐々に人間から解脱してしまうので、再び「生命線」を水で胃に流し込む。扁桃炎にかかると本当にこの繰り返し。
数万年にもおよぶ人類の英知によって、僕は生かされる。

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地獄のような高熱はもちろん嫌だけど、娯楽が著しく制限されるのも同じくらい苦痛。
僕は本を読むのが大好きなのだけど、熱にうなされながら登場人物の気持ちを推し量るなんて器用なことは僕にはできない。
そもそも、一定程度の意味のまとまりをもったコンテンツを楽しむことが不可能。
軽妙なラジオDJトークやいつも聴いているPerfumeは片方の耳から入って反対側からサラサラ流れ出すし、登場人物のセリフや細かな表情の機微、音楽、人物同士の掛け合いで複雑に展開する映画なんてもう拷問に近い。
高熱が出ている間は本当に何もできない。

解熱剤と抗生物質が僕の体内でブイブイ言わせる頃、ようやくそれらに手が伸びる。
でもこの時には別の欲求が頭をもたげている。
外に出たい、外気に浸りたい、人と会っておしゃべりがしたい。
気持ちはもう元気なのに体がついていかなくて、結局は布団の上に鎮座することになる。
もういっそ仏にでもなってしまうかと真剣に考えてしまう。
でもどこまで行っても俗物の僕は、仏になんてなれずに、友達に片っ端から電話をかけてしゃべり倒す。
僕と話してくれる人がこんなにいるのだと、胸が熱くなる。

 

数万年にもおよぶ人類の英知だけじゃない。人との温かなつながりによっても僕は生かされているのだとその時完璧に理解した。