今日をもって26歳としての僕の人生が終わる。
「アラサー」という思考の形跡のまるでない紋切り型の言葉を投げかけられる機会がこれから増えるのだと思うと、少しうんざりする。
30歳が近づくからなんだというのだろう。
「年齢なんて記号に過ぎない」
世界で最も好きな本のワンフレーズを思い出す。
あっという間の一年だった。
心がプラスに触れることもあればマイナスに触れることもあった。
でも総じてプラスだったと思う。
個別に付き合いのあった友達を引き合わせてみたり、通信制大学で文学を学んでみたり、ウクライナ語を初めてみたり(挫折した)、ライブに行ってみたり、SUP(スタンドアップパドルボート)に挑戦してみたり、本当に色々なことをした。
素敵な本とたくさん出会った。
『「その他の外国語文学」の翻訳者』、『名画を見る眼』、『シブヤで目覚めて』、『人間のしがらみ』、『チェヴェングール』、『夕暮れに夜明けの歌を 文学を探しにロシアに行く』
数え上げたらキリがない。
そんな中でも、26歳の1年間で読んだもののうちで一番と、胸を張って言える本がある。
この記事のタイトルにもなっている『26歳計画』というエッセイ集。
26歳の書き手が、各々の思う「26歳」についてつづる。
僕の周りの26歳は、僕よりずっと大人に見えていた。
でもこの本を読むと、僕以外の26歳も不安や葛藤と闘っていて、僕とそこまで違いがないことがわかり、妙に落ち着いたのを覚えている。
26歳って、大人でも子どもでもない。
このふわふわしたかけがえのない時間が、もうすぐ終わろうとしている。
同じ温度感の、最高の友達がこの本を教えてくれた。
お互いの心を揺さぶってくるような本を紹介しあえる、とても素敵な関係。
ちなみにこの友達、頻繁にラインもすれば電話もするけれど、今まで一度も会ったことがない。
なんだかおもしろい。
「昔はよかった」、「あの頃に戻りたい」
そんな言葉を聞く機会が増えた気がする。
僕にはどうもこれらの言葉がしっくりこない。
確かに、学生時代のほうが時間は有り余っていた。
若さがないとできないこともあるとは思う。
何より、責任を負う必要がない。
自由で、それでいてどこか不安な身軽さ。
それでも僕は、昔に戻りたいとは思わない。
だって、今が一番いいと、そう思えるから。
これまでの人生の中で最も老成した自分だから、使える言葉がある。
これまでの人生の中で最も苦しんだ経験が多い自分だから、他人の痛みに寄り添える。
これまでの人生の中で最も知識がある自分だから、味わえる文章がある。
できなくなったことを探すより、できるようになったことを探すほうがずっと簡単だし、たくさん見つかると、そう思うから。
今日をもって26歳としての僕の人生が終わる。
26歳の人生がこれまでの中で一番楽しかったと、心の底から思う。
そして、27歳の一年間を今までで最も素敵と思える年にすることを、ここに高らかに宣言する。