n年後に駐在するゲイ

いつか海外に飛ばされるゲイが生きた証

眠れない夜に

深夜に家事をすると心が落ち着くことに気づいたのはいつだろう。

 

家族が寝静まって、時たま家の近くを通る車の走行音以外なにも聞こえない台所で、食器を拭いて棚にしまったり、翌日の食事の仕込みをしたりする。

 

食器に付いた水を拭くときに出る音が、鶏肉の入ったトレイからラップをはがす音が、ほかのどんな音にも邪魔されることなく僕の耳に届く。

 

目の前で一つずつ作業が片付いていく。モノがそれぞれあるべきところに帰っていく感覚。そして、モノを正しい場所に送り出しているのはほかでもない、今台所に立っている自分なのだと、僕は確かにここにいるのだと気づく。

 

「私という存在は誰が何と言おうと今ここにある」という疑いえない感覚が、僕の心に立った波風を抑えてくれる。

 

台所はあまりに静かなので、僕以外のみんなは遠くに旅立ってしまったのではないかと錯覚してしまう。

 

どこか、僕の手など到底届きそうもない場所へ。

 

もし、僕を残して世界中の人が消えてしまったら。

 

うんと濃いコーヒーを沸かして、暖炉で部屋中を暖めて、世界中の本を読みながらのんびりと過ごすことにしよう。

 

そして、いなくなった人たちのことは最初からいなかったものと思おう。

 

砂粒ほどの期待を抱いて待ち続ける苦しみは、到底耐えられるものではないのだから。