n年後に駐在するゲイ

いつか海外に飛ばされるゲイが生きた証

青空と小麦畑の国に寄せて

耳元で鳴る電脳を止めて布団から這い出す。

 

顔を洗い、ご飯を食べて、仕事用PCのスイッチを入れる。

 

休憩時間になるとお昼を食べて、あとはうんと寝る。

 

また仕事に取り掛かる。

 

いつもの生活。いつものルーティーン。

 

でも、そんなありふれた日常の中で、気づくと考えてしまうことがある。

 

日本から8,000キロ離れた土地で起こっていること。

 

爆発音におびえる人、シェルターで息をひそめる人、国境を超える人、国に残る人、銃を手に取って国を守る人。

 

彼らの顔が、ふとした瞬間に頭に浮かぶ。

 

決して起こってはいけないことが、今まさに起こっている。

 

*******************

 

こういうとき、どんな心持で生きればいいのかわからなくなる。

 

はるか遠くで起きている戦闘について思いを巡らせる自分と、今週の土日はなにをしようか考えている自分が同時に存在して、なんとも気持ちが悪い。

 

「楽しんで過ごしてはいけない」はずはないのだけれど、「お前だけなんでのほほんと過ごしてんの?」と唾を吐きかける自分がどこかにいる。

 

わずかながらの募金以外に何もできない自分がただ歯がゆい。

 

無力。あまりにも無力。

 

*******************

 

この事態を引き起こした国から日本にやってきた人に対するバッシングがたびたび起こっている。

 

戦争を引き起こしたのは政権であって、一般市民ではないというごくごく当たり前のことがわからない人が、どうも少なくないらしい。

 

侵攻を受けている国の人々ならいざ知らず、第三国の人間がそのような行動に出てしまうのは心底理解できない。

 

あの国の人々の多くはこの戦争が間違っていることを知っているし、心を痛めている。

 

でなければあんなに規模の大きいデモは起こらない。

 

日々を平穏に暮らしていただけの人々が権力の引き起こす悲劇に否応なしに巻き込まれていくプロセスの、そのあまりにグロテスクさにやりきれない気持ちになる。

 

罪のない人々が犠牲になるのは、もうご免だ。