n年後に駐在するゲイ

いつか海外に飛ばされるゲイが生きた証

置かれた場所をすこりなさい ~「『すばらしい新世界』に見る幸せのカタチ」~

※ちょっと内容のネタバレがあります

 

 

不幸はなぜ生まれるか

「足るを知る」という言葉がある。自分に足りないものばかりに目を向けるのではなく、自分が持っているものに目を向けようという意味の、自分の不幸ばかりを嘆く人に投げかけられるおなじみのフレーズである。

 

日常の不幸せは自分と他人(または想像上の他人)を比較することで起こることが多い。「自分は年収が低くて不幸だ」は往々にして「自分は(同年代と比べて)年収が低くて不幸だ」という意味だし、「ブスすぎてつらい」は「(「いいね」をたくさんもらっているあいつより)ブスすぎてつらい」ということである(「ブスすぎてつらい」という一言を添えて自撮りをツイートする人類はこの限りではない)。多くの人は他人の長所を見出す天才であるのに、自分の長所に目を向けることに関しては不得手である。かくして、不幸は増強される。

 

そんな負のスパイラルから抜けるためには、「自分の今持っている幸せに目を向ける」ことが推奨されるらしい。「自分は年収が低いかもしれないけど、楽しい趣味があるじゃないか」、「自分の顔は醜いかもしれないけれど、話を聞いてくれる友達がいるじゃないか」などなど。自分がいま生きている場所を好きになることが幸せにつながるという。

 

この「置かれた場所を好きになる」思想を極端な形で実行する世界を描いたのが、イギリスの作家オルダス・ハクスリーによる『すばらしい新世界』(オルダス・ハクスリー)である。

 

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不幸が一掃された世界

ハクスリーがこの本で描く世界の人間は受精卵の段階から選別され、5つの階級に分けれられて徹底的に管理・区別される。階級は上から「アルファ」、「ベータ」、「ガンマ」、「デルタ」、「イプシロン」と呼ばれる。上の階級の人間ほど容姿や恵まれ、高い水準の教育を受けるためジャーナリストや大学教授といった職業に就くことが多い。一方、下の階級の人間は鼻がつぶれたり、背が低かったりと容姿が醜くなる。また、出生前後の管理方法により知的に劣った状態で生まれるため、単純労働に就くようになる。

 

一見、下の階級は上の階級を見て劣等感を抱くのではないかと思うが、この世界ではそのようなことは起こり得ない。この世界で生まれる人類に対して施される「睡眠教育」で、自分の階級を好きになるよう条件づけを行うからである。アルファ階級では「人の上に立つことのできるこの階級はなんて素晴らしいんだ」、下の階級では「背負うもの少なく、気楽に生きるこの階級はなんて幸せなんだ」といった具合。そうした教育を行うセンターを統括する所長は次のように語る。

 

「それこそが、幸福と美徳の秘訣なんだよ」(中略)「すなわち、置かれた場所を好きになること。条件づけがめざすのは、つまるところそれだけだと言ってもいい。人間誰もが、逃れられないみずからの社会的運命を気に入るようにしてやること

 

自分の置かれた物理的社会的状況を強制的に好むよう施された彼らはみな一様に幸せ、一億総自己肯定感カンスト社会の到来である。

 

この「不幸が起こらないための原因療法」だけでなく、この本では「不幸が起こってしまったときの対症療法」も描かれる。この世界の住人は嫌なことがあると「ソーマ」と呼ばれる副作用のない麻薬を服用する。これにより「宗教的陶酔感と幸福感と幻覚作用」を手軽に得ることができるのだ。「嫌なことがあればクスリで気持ちよくなっちゃえばよくね?」が公認されているというわけ。

 

この2つのアプローチにより、不幸とは無縁の生活を送ることができるのである。

 

人と比べないようにするの、無理では?

人為的に人と自分を比べないようにさせるというこの思想が僕はとても好きである。というのも、外界からの強制介入でもないと、人は他者と己を比較することをやめられないと暗示しているように思えるからだ。ましてや、メディアやSNSの発達で自分より優れた人間を目にする機会が爆発的に増えている現代である。現代文明に生きていては、もはや比較の呪縛から逃れることは望めない。そんな僕たちにできるのは、山にこもって他者との関わりを絶つか、思わず自分と比べざるを得ないような優れた他者を「ど○さいスイッチ」で消去するか、血みどろの努力をして自分が1番になるしかないのではないかと思う。生身の人間に「置かれた場所を好きになる」なんて芸当、人間をやめるのと同じくらい無理な話なのである。