n年後に駐在するゲイ

いつか海外に飛ばされるゲイが生きた証

繁忙と語彙の制限 ~働きたくない~

やっと一週間が終わった。今週は祝日が2回あって3日しか働いていないはずなのに、丸まる1週間は働いた気分。

 

というのも、最近仕事があわただしい。定時時間内に収まる忙しさではあるけれど、それでも勤務時間中は脳みそをフル回転させ続けて、手を休める暇がない。

 

そのせいなのかはわからないけれど、ここ何日かは仕事から離れているはずの時間でも絶えず焦燥感に襲われる。非常によろしくない。腰を落ち着けて本を読みたいけれど、ふと仕事のことが頭をかすめて、文字を追っていた目がピタと止まる。

 

何かに追われているとき、語彙が極端に絞られてしまうと感じる。

 

限られた言葉で資料を作って、限られた言葉でメールを捌く。「早く終わらせる」という意識がそうさせるのだと思う。お気に入りの本を読んでいても、気づいたらななめ読みをしてしまう。読み飛ばした文章の中に美しい表現が埋もれいていたことに気づき、作家に対して、自分の感性に対してなんだか申し訳なくなる。気色の悪いビジネス系キュレーションサイトのようなことを言うが、「忙しい」という漢字は「心」を「亡くす」と書く。近頃、「こころ」が息をしていない。

 

そもそも週5日労働が多すぎる。5日かけて蓄積された疲労をたった2日の休みで取り除こうなんて無理な芸当なのである。

 

人類は労働からの解放を夢見て技術を進歩させてきたはずなのに、仕事は減るどころかますます増えている。そして、おそらくその仕事の多くは、たとえなくても誰も困らない、むしろあるほうが有害な仕事だ、と人類学者のデイビット・グレーバーが自身の著書『ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論』で言っていた。

 

研究者になって、こういうことを延々と考える人生を送りたい。なので早くベーシックインカム始まってくれよ。私を「ブルシット・ジョブ」から解放してくれよ。

 

ここまで書いていて気付いたが、外で虫が大合唱をしている。虫そのものは苦手であるが、彼らの発する心穏やかで頼りない鳴き声は大好きだ。こういう何気ない事に注意を向けられた自分に少しうれしくなる。心が少し、息を吹き返したみたいだ。