n年後に駐在するゲイ

いつか海外に飛ばされるゲイが生きた証

施しとしての睡眠

睡眠を自分でコントロールできない。

 

より正確に言えば、入眠のタイミングを調整することができない。

「明日は朝早いフライトに乗るから、今日はいつもより2時間くらい早めに寝よう」

これがよくわからない。寝るタイミングって、そんな簡単に自分で決められるものなの?

人生において不得意なことは何ですかと聞かれたら、僕は自信をもって「睡眠」と答える。

 

翌日朝が早い場合は、努めて早めに布団に入ることはする。

でも、いつもより早く睡魔が襲ってきた試しがない。

いつもと同じ時間に寝るか、いつもより夜更かしをしてしまうかのどちらか。

「早く寝なきゃ」がプレッシャーとなって、いつもと同じ時間に寝付くことすら難しくなってしまう。

メンタルの弱さが体にも出てしまっている。

 

そういうわけで僕は、睡眠を「自分の意のままに操ることのできない範疇にあるもの」と認識している。

昔の人はそのようなものを、ポジティブな文脈では「恵み」と、ネガティブな文脈では「災い」と呼んでいたような気がする。

 

僕にとって睡眠は当たり前の存在ではない。

それはまさに「施し」なのだ。

気まぐれにやってきて、僕に休息の時間を与えてくれる。

みじめでちっぽけな人間の僕は、祈るような気持ちで枕に頭を横たえ、感謝で胸をいっぱいにしながら布団から出るだけである。

 

今日は何時にやってくるんだろう。さっきから僕は、空を見上げて手を合わせ、その合間にこの文章を書いている。